従順に生きてると生きがいを失う社会 それでも自分のやりたいことをやるには…

体操座りをして前を見るおじさんのイラスト

僕は平成生まれなので、本当に日本が調子の良かった高度経済成長期やバブルの時代を知らないんですが、そんな僕でも今の日本社会って本当に調子が悪くて昔よりも元気がなくなってるんじゃないかなと思うんです。

ほとんどの人が色んなことに我慢しながら、どこかこのままでいいのかなと思いながらも現状を甘んじて受け入れている人が多いような気がします。

なんで日本はこんな社会なのか、そんな社会でも自分が望んだ生き方をするにはどうすればいいのか、今回は僕の考えていることをお伝えします。

この社会の生きがいを見失う仕組み

日本という国は、あらゆる場面で自分の好きなこと・得意なことを見失わせて、組織・社会を円滑に運営させることに注力するように仕組まれています。

例えば学校生活では、得意・苦手に関係なくすべての教科で100点を目指すように言われます。

もし算数が好きで算数の能力が桁外れに高かったとしても、国語が苦手なら国語の勉強をしないといけません。

算数で100点を取れても国語が0点なら合計は100点ですが、算数も国語も60点取れれば合計は120点なので、後者の方が学業成績が良いとなるんです。

「何かずば抜けて得意なことがあるよりも、苦手な教科がなく全て高得点を取れるようになりなさい。得意なことじゃなく苦手なことと向き合いなさい」というのが学校教育のルールになります。

なぜこんなふうになってしまうのか、僕なりの考えを言わせてもらうとすれば、日本社会では得意なことと苦手なことの差が激しい尖った人材ではなく、あらゆることをそつなくこなせるようなバランスの良い無難な人材が求められるからだと思います。

受験では学びたいことを学べる学校じゃなく、自分の学力に相応しい、もしくはネームバリューの強い高校・大学に進学することが多いですよね。

こういう選び方って、結局何を学びたいかという自分の意思じゃなく、自分と周囲の学力の関係や社会の目線といった「自分以外の部分」からヒントをもらった選択なので、大事な場面で自分の意思を貫くことができなくなってしまうんじゃないかと思うんです。

就職活動も同様で、新卒一括採用の慣例が根強く残ってるため、就職活動の場面では公務員や国内外の大手有名企業が最も人気で、規模が小さくなるにつれて人気がなくなっていきます。

ここでも受験とおんなじような現象が起こり、学歴や語学力等優秀(と思われる)人材から順番に人気企業から内定をもらえるような世界になっています。

なので就活生は受験の時のように、自分と周囲の力関係などを見ながら「このぐらいのレベルが妥当かな」と見定めて企業に応募し就職先を決めるんです。

もちろん自分は〇〇業界に行きたい、〇〇という職種に就きたいといった志を持ってる人もいますが、ほとんどの学生は先ほど話したような決め方で就職先を決めているというのが僕の実感ですね。

で、就職したらしたで、自分の意思とは関係ないところで配属先を決められ、大企業なら(支店・営業所などの)赴任先、すなわち住む場所を決められ、ジョブローテーションで次の部署を決められ、と言った感じで、ここでも自分の意思とは関係なく色んなことが決まります。

そんな会社という世界でも「総合職」という職種かどうかもわからないような職種をあてがわれて、ジョブローテーションを通じて色んな仕事をバランスよくそつなくこなせるような人材になれと要求されるんですよね。

こんな感じで、得意なことはほどほどに、苦手なことはしっかり克服、周囲との関係で物事を決めるという人生を送ってると、自分は何がしたくて何が得意なのかがわからなくなって当然だと思います。

特に周りの空気を読み、求められたことに従順に従えるような人間であるほど、自分の意思がわからなくなってしまうでしょう。

これが今の日本社会の元気をなくしてる原因だと思います。

どうすれば自分のやりたいことを見失わない?

こんな社会でも、「自分はこういうことがしたいんだ」と強い意思を持っている人もいますが、ほとんどの人は「自分は何をしたいかわからない、何に向いてるかわからない」と思っているのではないでしょうか?

それはやはり、幼少の頃から自分の意思とは関係なく人生の選択をしてきたからだと思います。

子供の頃は誰だって、「あれはなんだろう? 自分もやってみたい!」といった純粋な気持ちがあったはずです。

大人になってもあの頃のように自分のやりたいことを見失わないためには、他人を失望させ、迷惑や心配をかけ、社会の既定路線から外れることを恐れない勇気を持つことが大切だと思います。

私たちは成長の過程でうまく社会に適応し、周囲の期待を裏切らず、周囲の求めることに応じて、心配も迷惑もかけまいと、自分じゃない他の誰かが決めた正解に従って生きてきた結果、どこかで自分の希望や意思が邪魔になり、知らない間にそれを封印する癖が付いてしまったのではないでしょうか?

僕もそうだったんです。

僕が前の会社を辞めた時や、就職活動をやめてWEBデザインの勉強をしようと決めた時、その決断の邪魔をするのは周囲からの「見られ方」でした。

心の中では本当は営業じゃなく何かを自分の手で生み出せる人間になりたいと思ってたんですが、それを考えようとすると「今から職種を変えるなんて何を考えてるのか、もっと現実的になれ」と誰かから言われるような気がして、その意見に従って自分の意思を押し殺して生きていました。

それに社会では、ひとつの会社に長く勤め、その会社で色んなことを経験して出世することを是とする考え方がまだまだ根付いています。

僕はそれまでにも1度転職をした経験があるので、そのような考えの人からは「ダメ人間、落ちこぼれ」ということになるでしょう。

ですが僕は決めたんです。

「何を言われてもいい。誰から見放されてもいい。誰が失望したっていい。とにかく俺は俺のやりたいことをやる!」と覚悟を決めて、就職活動をやめてWEBデザインの勉強を始めました。

幸運なことに、別に僕の決断に対してとやかく言ってくる人は誰もいませんでした。

もちろん勉強の途中はものすごく不安でしたが、それ以上に自分が本当にやりたいことに少しでも近づけているという喜びの方がよっぽど大きかったんです。

自分の意思を貫いて、自分の情熱に任せて勉強した結果、僕は見事自分の目標としたWEBデザイナーという職種で転職することができました。

あの時の決断は本当に間違ってなかったと思いますし、この意識の変化が自分の人生を大きく変えてくれたと感じます。

自分の人生、もっと生きがいを実感して生きていきたいと思っている人は、怖いかもしれませんが、期待を裏切る・笑われる・怒られる、そんな勇気を持って行動してみてください。

最後に

この国では挑戦する人や、挑戦して失敗した人を嘲笑う風潮があります。

やりたいことをやろうとする人を「自分勝手だ」と罵る風潮があります。

僕はそんな声を聞くと悲しい気持ちになりますが、ある種仕方がないことだという気もします。

自分の意思を押し殺し、社会の求めることに従って生きる上では、「やりたいことをやる」という考えを否定しないといけなかったんでしょう。

身の回りの人を悲しませないためにはそうするしかなかったのかもしれません。

ですがやはり、僕は挑戦を讃え、誰もが生きがいを持つ社会に生きていたいんです。

怖いかもしれませんが、自分の意思に従って、道を踏み外す勇気を持っていただきたいと思います。

明るい社会を目指しましょう。